The rest tales




 大きく窓を開いていると様々なものが訪れる。まるで招かれたようにやってくるのは、今の時季なら淡い色と甘い香りで蝶を誘う花のそれだったり、穏やかで眠気を誘う日差しだ。
 暖かな春の気配に、大人しく午睡に身を委ねてしまうのも心地良さそうだと思いながらも、ヤーコプの手は止まらない。窓の両端でまとめられたカーテンが、吹き込んできた風に揺れる。その風に乗って、高く愛らしい笑い声が届いた。
 声の方を見ると木の陰で寄り添うように座る、二人の弟と妹の姿。背が高く眼鏡を掛けたヴィルヘルムが真ん中で、ヤーコプの書いた本を両手で開いている。両脇ではルートヴィッヒとヘンリエッタが身を乗り出していた。きっと天気が良いから外で本の読み聞かせをしているのだろう。
 仲の良い兄妹の様子は、眠気ですらなしえなかった彼の手を止めることも容易い。こうして見守っていると大抵は誰かしらが気付いて、笑顔を向けたり手を振ってくれたりするのだが。今日は生憎と全員本の世界に夢中のようだ。
 少々寂しくもあるが、三人が自分の書いた本を囲んでいると思えば自然と笑みがもれた。ふ、と落胆ではない息を吐いて再びペンを握る手に力を込める。物語を締めくくる幸せな結末を紙に綴った。


「『そして少女と妖精は月夜の晩、まあるいお月様に照らされて、歌い、踊り、笑い合うのでした。おしまい』」
パタン、と静かな音で本と、物語の世界を閉じたヴィルヘルムへと、拍手が贈られる。
「ありがとう兄さん!」
「ありがとうございます、兄さん」
 小さな手でぱちぱちと拍手をする妹と、どこか心ここに在らずといった様子の弟に彼は穏やかに微笑んだ。おとぎ話が大好きなヘンリエッタはもちろんのこと、ルートヴィッヒも大変お気に召したようだ。満月の下の幻想的な宴を思い浮かべているのだろう。紙とクレヨンを渡せばすぐにでも描き始めそうだ。ヤーコプの書いた本にも宴を描写したページの隣は、真っ白な紙になっている。ルートヴィッヒの行動を見越して、わざと空白を用意したに違いない。
 太陽の高さを確認して、次いで家の方、開かれた窓から室内を窺う。椅子に座ったまま兄は背伸びをしていた。きっと一段落ついたのだろう。お茶の時間にも丁度良さそうだ。
「二人とも、そろそろおやつにしよう」
「うん!ほらルーイも早く!!」
「うわ!?分かったから引っ張るな」
 地面の上に散らばったクレヨンを三人で慌てて拾い集め、欠けることなく揃えてから家へ向かう。今度は小さな妹を真ん中に手をつないで。


 出来上がった物語を記した紙をまとめるヤーコプのもとに、二人分の軽い足音が駆け寄って来る。振り返る間もなく机に身を乗り出すように自分を覗きこむ頭をポンと叩く。
「こら、家の中を走ってはいけない、といつも言っているだろう。机の角や柱にぶつけて怪我をしてしまったらどうする」
 ルートヴィッヒもだぞ、と椅子を引いて向き直る。素直に頷く妹と、少し不服そうな弟が手をつないで立っていた。
「兄さん…よく見て下さい。僕はこいつに無理やり引っ張られてきただけです。家の中で走るお転婆はこいつだけですよ」
「ルートヴィッヒ…年下の女性をリードできないどころか、リードしてもらっていると主張するのはどうかと思うぞ」
「…あぁ、もう」
 とても生真面目な様子で注意する兄に、頭を抱えて呻いた。つっこむべきところはあるのに、言葉が見当たらない。
「ねえ、兄さん!新しいお話、とっても素敵だったわ!」
「そうか、それは良かった。お前に喜んでもらえて俺もとても嬉しいよ。
 ああ、そうだ。今度は俺が読んであげよう。丁度新しい物語が書き上がったところだ」
「わぁ、本当?早く聞かせて!」
「ちょっと待て。今ヴィルヘルム兄さんがお茶を淹れてくれてるんだぞ。お前何しに来たか忘れてるだろ」
「お、覚えてるわよ!ヤーコプ兄さんにお茶の時間よって言いに来たんだもの…
 う、でもお話」
 おいしいお菓子と大好きなお話を天秤に掛けて、見事に釣り合ってしまったらしい。深刻な顔で俯いてしまった。
 そんな暗い表情をさせるのが本意ではない長男は、頭に乗せたままだった手をゆっくりと左右に動かす。
「よし、ではお茶の時間を楽しんだ後で、ゆっくり読もうか。あまりヴィルヘルムを待たせすぎて拗ねられると面倒だ。俺たちの夕飯が減らされかねないからな」
 おどけて言うヤーコプが優雅に差し伸べた手につかまってヘンリエッタは元気よく頷く。和気あいあいと歩き出す二人に引きずられるようにルートヴィッヒは力なくついていく。何しろ左手は未だにヘンリエッタとつないだままだから仕方ない。
「どうして『俺たちの夕飯』なんですか、何で僕まで…」
「正確に言うなら、俺とお前の分が、だな。あいつ一人のけ者にしてこの娘と遊んでいた、なんて知れたら間違いなく恨みは俺たちに向かうぞ。断言してもいい」
 そんな無茶苦茶な、とか思いつつも、あり得ないどころか、十分にあり得る、とどこか諦め半分に納得してしまった少年は、そのままずるずると引きずられていったのだった。


 一家四人揃ってのお茶の時間は実にゆったりとしたもので、多少三男が疲れた様子だが、麗らかな春の午後に相応しい穏やかな時が流れる。良い香りのお茶に、美味しい手作りのお菓子。それを口にする合い間の弾む会話の中、ヤーコプの近くに置かれている紙を見たヘンリエッタはふと一つの疑問を投げかける。
「兄さんはどうしてそんなにたくさんお話が書けるの?」
 その紙の束は、先ほど言っていた出来あがったばかりの物語だろう。小首を傾げて不思議そうに問う少女に兄が答えるよりも早く、別のところから返事があった。
「ヤーコプ兄さんはお前と違って物知りだからだ。お前みたいに絵本やおとぎ話ばかり読んでる訳じゃないんだからな」
「…むぅ。ルーイには聞いてないもん」
「こらケンカしない。お茶のお代わりをあげるから、機嫌を直しなさい」
 そっぽを向いてしまった二人の空になったカップに新たにお茶を注ぐ。歳の離れた妹と弟はちょっぴり頬をふくらませながらも、素直にお代わりを口にした。その様子をヴィルヘルムはニコニコと眺める。
 お茶の中のハーブの香りか、その豊かな味わいか。はたまた柔らかな次男の笑顔か、口ゲンカすら微笑ましげに見守る長男の眼差しかに、二人の意地も解けていく。その速さは紅茶の中に落とした砂糖が溶けるのよりも速い。いっそ仲直りの魔法やおまじないを掛けたんだと言われれば、すっかり信じてしまうほどだ。
「俺が物語を書くのはお前たちに伝えたいことがあるからだ。そして伝えきれないから幾つもの物語を書くんだよ」
 ヤーコプはどんなに他愛もない質問にも、誤魔化すことなくしっかりと答えてくれる。ときにはひとつしか歳が違わないはずの自分ですら呆れてしまうような妹の質問にだって。
「ええと…一体どういうことですか?」
 しばらく兄の答えの意味を考えた末、ルートヴィッヒは重ねて聞いた。最初に質問をした少女をちらりと見れば、人差し指を頬に当て真剣な顔をして、固まっている。こっそりとため息を吐いたとき、そうだな、という呟きに慌てて向き直った。
「ルートヴィッヒ、例えばとても素晴らしい景色を夢に見て、それを誰か大切な人にも見せたくて、絵に描いたとする。お前は本当にその美しさや、それを見たときの感動を全て伝えられると思うか?」
「…無理だと思います」
 僅かな沈黙の後、ルートヴィッヒはそう答えた。将来は画家になりたいと思っている。その為の努力はしているし、これからも続けるつもりだ。だけれど人の心を動かすような絵を描くには自分にはまだ足りないものが多すぎる。
「では、諦めるか?」
「それも、無理です」
 今度はすぐに答えが出た。拙いとは分かっているが、描かなければ上達はあり得ない。何より大切な人たちは、自分の絵を見て瞳を輝かせて褒めてくれる。こちらが嬉しくなるような、笑顔を見せてくれる。
 だから、と思ったルートヴィッヒは、はっと顔を上げた。兄さんもそうなのだろうか。
 どこか通じ合ったようなヤーコプとルートヴィッヒ。それを交互に見やって、忙しなく頭を動かすヘンリエッタの頭をヴィルヘルムは撫でてやる。ちょっぴり眉根を寄せて見上げる愛らしい妹を宥めるように笑いかける。
「ヴィルヘルム兄さんは美味しいご飯を作ってくれて、いつも前より美味しいご飯を作ってくれるのとおんなじ?」
 兄の笑顔に閃いたのか、首を傾げながらもニコニコする。ずれた答えにそれは違う、と思いつつも、少女の笑顔に弱い兄弟はしばし言葉をなくす。一番速く反応出来たのは次男だった。そっと、噛んで含めるように言葉を紡ぐ。
「ありがとう。お前にそう言ってもらえると、とても嬉しいよ」
 今夜はお前の好きな煮込みハンバーグにしようか、と言うヴィルヘルムの周囲が春めく。幸福そうな雰囲気が漂い、ヘンリエッタが椅子に座っていなければすぐにでも抱き上げて、くるくると回り出しそうですらある。
「ヴィルヘルム、それは違うだろう」
「兄さん、それは違うでしょう」
 春爛漫な次男に、去ったはずの冬将軍の再来のような冷たい声が、無情につっこんだ。


 とにかく、とヤーコプが一度咳払いをした。家長の静粛に、の号令にそれぞれ居住まいを正して向き直る。
「優しさや強さ、寂しさや弱さ、正しいこと間違ったこと、してはいけないこと。そういったことを伝えたいと願って、その願いを持って初めて俺は本を書く。
 だが、全て終わった…と、とじた後で、ふとまだ伝えたいことが残っていることに気付くんだ。
 それを伝えようと思って…またその繰り返しだ。そうしているうちに、これだけの物語が生まれたという訳だ」
 本棚に並ぶ著書を示して、苦く、でもとても優しく笑って続けた。その笑顔も言葉も、まるで彼の書く物語のように温かだ。
「裏を返せば、何話何十冊と書いても、己の満足のいくものを書けていないということにもなる。…少し情けないな」
「そんなことないもん!!」
 ヘンリエッタは気付けば大声を上げていた。椅子の上に立ち上がらんばかりの勢いに、全員が驚いたように少女を見た。顔を真っ赤にして、一生懸命に言葉を探している。
 目をぱちぱちと瞬かせながら自分を見つめる兄さんの顔を、泣きたいような、怒りたいような思いで睨みながら必死に考える。
 だって、大好きなお話を馬鹿にされたのだ。その上、もっと大好きな兄さんを情けないと言われた。それも、他ならぬヤーコプ兄さんに。
 いつでも自分の心に正直でいなさい、と言われている。兄さんとの約束を守るためにも、間違っていたごめんなさいしてもらわないと駄目だ。
「ヤーコプ兄さんのお話は、いつも素敵だもの!情けなくなんかないの…!!」
 たくさん、絵本や物語を読んでもらったから、もっとたくさん兄さんのお話を褒められるはずなのに。すっかり逆上せた頭からは上手い言葉出てこない。私がこんなだから、兄さんはあんなことを思ってしまったんだ、と悲しくなった。
「ヘンリエッタ」
 困ったような気遣うような響きで名前を呼ばれて、自分が情けない気持ちでいっぱいになって、涙が出そうになった。ぎゅっと目を瞑って泣かないもんと思ったとき、窓から春の風がやって来た。穏やかで優しい、春の花の甘い香り。
「お花!」
 ヘンリエッタはパッと目を開け、大きな声で言った。
「ヤーコプ兄さんのお話はお花みたいなの!」
「…花、か?」
 呟きに頷きながら、徐々に強張っていた唇が綻んでいく。
「そう、お花。だってお花は毎年あんなに綺麗に咲いて、種を残して、また咲いてくれるでしょ。
 兄さんのお話も同じなの。いつも私を楽しい気持ちにさせてくれて、兄さんはその後また新しいお話を書いてくれるの。
 えっと…だから」
 ものすごくぴったりな表現を見つけた、と思ったのに、思うように伝えられない。結局ヘンリエッタは握った手を震わせて叫んだ。
「とにかく私は兄さんが大好きなの!!」
 小さな体中の息をすっかり使い切って、大きく肩で息をする。しばらく誰も何も言わない、沈黙の時間が流れて…
「っふ、くくくっ…」
「に、兄さん?」
「っはは、すまないヘンリエッタ。俺の負けだな。
 そうか、お前は…ははははは…!」
 とても朗らかな笑い声に釣られるようにみんな笑いだす。まるで家の中にもうひとつ太陽があるかのように明るい空気が満ちる。
「俺はお前が好きなものを侮辱してしまったな。すまなかった、どうか許してほしい」
 笑い疲れた後で、まっすぐにヘンリエッタを見てヤーコプが頭を下げた。ヘンリエッタはビックリしながら、首を横に振る。あんなに目茶苦茶なことを言って怒ったのに、ちゃんと分かってくれたことに驚いたし、嬉しかった。
「そうですよ、兄さん」
「兄さんは僕たちの憧れなんですから、もう二度とあんなこと言っちゃ駄目です」
「分かった。…だが何故お前たちにまで怒られなくてはいけないんだ」
「それは兄さんが僕たちの大切な、可愛い妹を泣かせたからでしょう。ね、ルーイ?」
「…な、僕は。こ、こいつは関係ありませんっ」
「やれやれ…」
 とんだ貧乏くじだ、と肩をすくめる兄さんたちのやりとりをにこにこと、満面の笑顔で眺める。不意に目が合ったヤーコプに笑いかけると、微笑み返してくれた。
「そうだ、ヘンリエッタ。大事なことを伝え忘れるところだった」
「どうしたの、なぁに?」
「とても大事なことなんだ。
 …俺もお前が大好きだよ」
「「て、何言ってるんですか、兄さん!?」」
「俺はさっき、この娘に告白された身だからな。しっかりと応えなければ誠実ではないだろう?」
 優越をまるで隠さない様子で、「告白」を強調しながら弟たちを見やって、恭しく少女へ手を差し伸べた。少女の大好きな、まるでおとぎ話の王子様のように。
「さぁ、約束通り新しい物語を読んであげよう」
 愛らしく、花のように笑う妹の手を引いて居間へ向かう長男の後を、慌てて次男と三男が追いかけた。
 テーブルの上にはまだ湯気の立つ四つのカップがぽつんと残された。



後書き
 グリム一家が大好きですっ!!!
 ヤーコプ兄さんがおいしいところを持っていくのは仕様でっす!!!
 一応このお話には趣味とはいえ小説書く者として、思ったことを書いてみました。
 タイトル解説:the rest=残り、rest=休息、tale=物語。物語の残り、であり、休息の物語といった雰囲気です。
 勿論正しい使用方、訳ではありません(笑)

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